第五帖 第18通 当流聖人の御文
当流聖人のすすめまします安心というは、なにのようもなく、まず我が身のあさましきつみのふかきことをばうちすてて、もろもろの雑行雑修のこころをさしおきて、一心に、阿弥陀如来後生たすけたまえと、一念にふかくたのみたてまつらんものをば、たとえば十人は十人、百人は百人ながら、みなもらさずたすけたまうべし。これさらにうたがうべからざるものなり。かようによくこころえたる人を、信心の行者というなり。さてこのうえには、なお我が身の後生のたすからんことのうれしさを、おもいいださんときは、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
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