第四帖 第15通 大坂建立の御文

そもそも当国摂州東成郡、生玉の庄内、大坂という在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、さんぬる明応第五の秋、下旬のころより、かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、当年ははやすでに三年の歳霜をへたりき。これすなわち往昔の宿縁あさからざる因縁なりとおぼえはんべりぬ。それについて、この在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯をこころやすくすごし、栄花栄耀をこのみ、また花鳥風月にもこころをよせず、あわれ、無上菩提のためには、信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をももうさんともがらも、出来せしむるようにもあれかしとおもう一念のこころざしをはこぶばかりなり。またいささかも世間の人なんども、偏執のやからもあり、むつかしき題目なんども出来あらんときは、すみやかにこの在所において、執心のこころをやめて退出すべきものなり。これによりていよいよ貴賎道俗をえらばず、金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに弥陀如来の本願にあいかない、別しては聖人の御本意にたりぬべきものか。それについて、愚老すでに当年は八十四歳まで存命せしむる条、不思議なり。まことに当流法義にもあいかなうかのあいだ、本望のいたりこれにすぐべからざるものか。しかれば愚老、当年の夏ごろより違例せしめて、いまにおいて本腹のすがたこれなし。ついには当年寒中には、かならず往生の本懐をとぐべき条、一定とおもいはんべり。あわれ、あわれ、存命のうちに、みなみな信心決定あれかしと、朝夕おもいはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころしばらくもやむことなし。またはこの在所に三年の居住をふる、その甲斐ともおもうべし。あいかまえて、あいかまえて、この一七か日の報恩講のうちにおいて、信心決定ありて、我人一同に、極楽往生の本意をとげたまうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

    明応七年十一月二十一日よりはじめて、これをよみて人々に信をとらすべきものなり。

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