第四帖 第14通 一流安心の御文
一流安心の体という事。
南無阿弥陀仏の六字のすがたなりとしるべし。この六字を善導大師釈していわく、「言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行 以斯義故 必得往生」(玄義分)といえり。まず「南無」という二字は、すなわち帰命というこころなり。帰命というは、衆生の、阿弥陀仏後生たすけたまえとたのみたてまつるこころなり。また発願回向というは、たのむところの衆生を、摂取してすくいたまうこころなり。これすなわちやがて「阿弥陀仏」の四字のこころなり。さればわれらごときの愚痴闇鈍の衆生は、なにとこころをもち、また弥陀をばなにとたのむべきぞというに、もろもろの雑行をすてて、一向一心に、後生たすけたまえと弥陀をたのめば、決定、極楽に往生すべきことさらにそのうたがいあるべからず。このゆえに、「南無」の二字は、衆生の弥陀をたのむ機のかたなり。また「阿弥陀仏」の四字は、たのむ衆生をたすけたまうかたの法なるがゆえに、これすなわち機法一体の南無阿弥陀仏ともうすこころなり。この道理あるがゆえに、われら一切衆生の往生の体は、南無阿弥陀仏ときこえたり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年四月 日
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