第四帖 第8通 八ヶ条の御文

そもそも今月二十八日の報恩講は、昔年よりの流例たり。これによりて近国遠国の門葉、報恩謝徳の懇志をはこぶところなり。二六時中の称名念仏、今古退転なし。これすなわち開山聖人の法流、一天四海の勧化比類なきがいたすところなり。このゆえに、七昼夜の時節にあいあたり、不法不信の根機においては、往生浄土の信心、獲得せしむべきものなり。これしかしながら今月聖人の御正忌の報恩たるべし。しからざらんともがらにおいては、報恩謝徳のこころざしなきににたるものか。これによりて、このごろ真宗の念仏者と号するなかに、まことに心底より当流の安心決定なきあいだ、あるいは名聞、あるいはひとなみに、報謝をいたすよしの風情これあり。もってのほかしかるべからざる次第なり。そのゆえは、すでに万里の遠路をしのぎ、莫太の辛労をいたして、上洛のともがら、いたずらに名聞ひとなみの心中に住すること、口惜しき次第にあらずや。すこぶる不足の所存といいつべし。ただし無宿善の機にいたりてはちからおよばず。しかりといえども、無二の懺悔をいたし、一心の正念におもむかば、いかでか聖人の御本意に達せざらんものをや。

 一 諸国参詣のともがらのなかにおいて、在所をきらわず、いかなる大道大路、また関屋・渡の船中にても、さらにそのはばかりなく、仏法方の次第を顕露に人にかたること、しかるべからざる事。

 一 在々所々において、当流にさらに沙汰せざる、めずらしき法門を讃嘆し、おなじく、宗義になきおもしろき名目なんどをつかう人、これおおし。もってのほかの僻案なり。自今已後、かたく停止すべきものなり。

 一 この七か日報恩講中においては、一人ものこらず、信心未定のともがらは、心中をはばからず改悔懺悔の心をおこして、真実信心を獲得すべきものなり。

 一 もとより我が安心のおもむき、いまだ決定せしむる分もなきあいだ、その不審をいたすべきところに、心中につつみて、ありのままにかたらざるたぐいあるべし。これを、せめあいたずぬるところに、ありのままに心中をかたらずして、当場をいいぬけんとする人のみなり。勿体なき次第なり。心中をのこさずかたりて、真実信心にもとづくべきものなり。

 一 近年仏法の棟梁たる坊主達、我が信心はきわめて不足にて、結句門徒同朋は、信心は決定するあいだ、坊主の信心不足のよしをもうせば、もってのほか腹立せしむる条、言語道断の次第なり。已後においては、師弟ともに、一味の安心に住すべき事。

 一 坊主分の人、ちかごろはことのほか重杯のよし、そのきこえあり。言語道断しかるべからざる次第なり。あながちに、酒をのむ人を停止せよというにはあらず。仏法につけ、門徒につけ、重杯なれば、かならず、ややもすれば酔狂のみ出来せしむるあいだ、しかるべからず。さあらんときは、坊主分は停止せられても、まことに興隆仏法ともいいつべきか。しからずは、一盞にてもしかるべきか。これも仏法にこころざしのうすきによりてのことなれば、これをとどまらざるも道理か。ふかく思案あるべきものなり。

 一 信心決定のひとも、細々に、同行に会合のときは、あいたがいに信心の沙汰あらば、これすなわち真宗繁昌の根源なり。

 一 当流の信心決定すという体は、すなわち「南無阿弥陀仏」の六字のすがたとこころうべきなり。すでに善導釈していわく「言南無者 即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者 即是其行」(玄義分)といえり。「南無」と、衆生が弥陀に帰命すれば、阿弥陀仏のその衆生をよくしろしめして、万善万行、恒沙の功徳をさずけたまうなり。このこころすなわち「阿弥陀仏即是其行」というこころなり。このゆえに、「南無」と帰命する機と、阿弥陀仏のたすけまします法とが一体なるところをさして、機法一体の南無阿弥陀仏とはもうすなり。かるがゆえに、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、衆生仏にならずはわれも正覚ならじとちかいましますとき、その正覚すでに成じたまいしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりと、こころうべし。これすなわちわれらが往生のさだまりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すというも、ただこの六字のこころなりと落居すべきものなり。

  そもそも、この八か条のおもむき、かくのごとし。しかるあいだ当寺建立は、すでに九か年におよべり。毎年の報恩講中において、面々各々に、随分信心決定のよし、領納ありといえども、昨日今日までも、その信心のおもむき不同なりあいだ、所詮なきものか。しかりといえども、当年の報恩講中にかぎりて、不信心のともがら、今月報恩講中のうちに、早速に真実信心を獲得なくは、年々を経というとも、同篇たるべきようにみえたり。しかるあいだ愚老が年齢、すでに七旬にあまりて、来年の報恩講をも期しがたき身なるあいだ、各々に真実に 決定信をえしめん人あらば、一つは聖人今月の報謝のため、一つは愚老がこの七八か年のあいだの本懐とも、おもいはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

    文明十七年十一月二十三日

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