第四帖 第7通 六ヶ条の御文

そもそも今月報恩講の事、例年の旧義として、七日の勤行をいたすところ、いまにその退転なし。しかるあいだ、この時節にあいあたりて、諸国門葉のたぐい、報恩謝徳の懇志をはこび、称名念仏の本行をつくす。まことにこれ専修専念決定往生の徳なり。このゆえに諸国参詣のともがらにおいて、一味の安心に住する人まれなるべしとみえたり。そのゆえは、真実に仏法にこころざしはなくして、ただ、人まねばかり、あるいは仁義までの風情ならば、まことにもってなげかしき次第なり。そのいわれいかんというに、未安心のともがらは、不審の次第をも沙汰せざるときは、不信のいたりともおぼえはんべれ。されば、はるばると万里の遠路をしのぎ、また莫太の苦労をいたして上洛せしむるところ、さらにもってその所詮なし。かなしむべし、かなしむべし。ただし、不宿善の機ならば無用といいつべきものか。

 一 近年は仏法繁昌ともみえたれども、まことにもって坊主分の人にかぎりて、信心のすがた一向に無沙汰なりときこえたり。もってのほかなげかしき次第なり。

 一 すえずえの門下のたぐいは、他力の信心のとおり聴聞のともがらこれおおきところに、坊主よりこれを腹立せしむるよし、きこえはんべり。言語道断の次第なり。

 一 田舎より参詣の面々の身上において、こころうべき旨あり。そのゆえは、他人の中ともいわず、また大道路次なんどにても、関屋船中をもはばからず、仏法方の讃嘆をすること、勿体なき次第なり。かたく停止すべきなり。

 一 当流の念仏者を、あるいは人ありて、「なに宗ぞ」とあいたずぬることたといありとも、しかと「当宗念仏者」とこたうべからず。ただ、「なに宗ともなき念仏者なり」とこたうべし。これすなわちわが聖人のおおせおかるるところの、仏法者気色みえぬふるまいなるべし。このおもむきを、よくよく存知して、外相にそのいろをはたらくべからず。まことにこれ当流の念仏者のふるまいの正義たるべきものなり。

 一 仏法の由来を、障子かきごしに聴聞して、内心に、さぞとたとい領解すというとも、かさねて、人にそのおもむきをよくよくあいたずねて、信心のかたをば治定すべし。そのまま我が心にまかせば、かならずかならず、あやまりなるべし。ちかごろこれらの子細当時さかんなりと云々

 一 信心をえたるとおりをば、いくたびもいくたびも、人にたずねて、他力の安心をば治定すべし。一往聴聞しては、かならずあやまりあるべきなり。

 右此の六か条のおもむき、よくよく存知すべきものなり。近年仏法は、人みな聴聞すとはいえども、一往の義をききて、真実に信心決定の人これなきあいだ、安心も、うとうとしきがゆえなり。あなかしこ、あなかしこ。

       文明十六年十一月二十一日

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