第一帖 第3通 猟漁(りょうすなどり)の御文

まず、当流の安心のおもむきは、あながちに、わがこころのわろきをも、また、妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよというにもあらず。ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟、すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどいぬるわれらごときのいたずらものを、たすけんとちかいまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもうこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあずかるものなり。このうえには、なにとこころえて念仏もうすべきぞなれば、往生はいまの信力によりて、御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもいて念仏もうすべきなり。これを当流の安心決定したる、信心の行者とはもうすべきなり。あなかしこ、あなかしこ。

   文明三年十二月十八日

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