第五帖 第7通 五障三従の御文

それ、女人の身は、五障・三従とて、おとこにまさりてかかるふかきつみのあるなり。このゆえに、一切の女人をば、十方にまします諸仏も、わがちからいては、女人をばほとけになしたまうことさらになし。しかるに阿弥陀如来こそ、女人をばわれひとりたすけんという大願をおこして、すくいたまうなり。このほとけをたのまずは、女人の身のほとけになるということあるべからざるなり。これによりて、なにとこころをももち、またなにと阿弥陀ほとけをたのみまいらせて、ほとけになるべきぞなれば、なにのようもいらず、ただふたごころなく、一向に阿弥陀仏ばかりをたのみまいらせて、後生たすけたまえとおもうこころひとつにて、やすくほとけになるべきなり。このこころの、つゆちりほどもうたがいなければ、かならず、かならず、極楽へまいりて、うつくしきほとけとはなるべきなり。さてこのうえにこころうべきようは、ときどき念仏をもうして、かかるあさましきわれらを、やすくたすけまします阿弥陀如来の御恩を、御うれしさ、ありがたさを報ぜんために、念仏もうすべきばかりなりと、こころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

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