第五帖 第2通 八万法蔵の御文

それ、八万の法蔵をしるというとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとい一文不知の尼入道なりというとも、後世をしるを智者とすといえり。しかれば、当流のこころは、あながちに、もろもろの聖教をよみ、ものをしりたりというとも、一念の信心のいわれをしらざる人は、いたずら事なりとしるべし。されば聖人の御ことばにも、「一切の男女たらん身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるという事あるべからず」とおおせられたり。このゆえに、いかなる女人なりというとも、もろもろの雑行をすてて、一念に、弥陀如来今度の後生たすけたまえと、ふかくたのみ申さん人は、十人も百人も、みなともに弥陀の報土に往生すべき事、さらさらうたがいあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

0コメント

  • 1000 / 1000