第三帖 第13通 夫当流門徒中(それとうりゅうもんとじゅう)の御文

それ当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうえにも、また未決定の人の安心をとらんとおもわん人も、こころうべき次第は、まずほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗せず、国ところにあらば、守護地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもって本とし、また後生のためには、内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまいらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。このこころえのとおりをもって、すなわち弥陀如来の他力の信心をえたる、念仏行者のすがたとはいうべし。かくのごとく念仏の信心をとりてのうえに、なおおもうべきようは、さてもかかるわれらごときの、あさましき一生造悪のつみふかき身ながら、ひとたび一念帰命の信心をおこせば、仏の願力によりて、たやすくたすけたまえる弥陀如来の不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよと、ふかくおもいたてまつりて、その御恩報謝のためには、ねてもさめても、ただ念仏ばかりをとなえて、かの弥陀如来の仏恩を報じたてまつるべきばかりなり。このうえには、後生のためになにをしりても所用なきところに、ちかごろ、もってのほかみな人のなにの不足ありてか、相伝もなき、しらぬくせ法門をいいて、人をもまどわし、また無上の法流をもけがさんこと、まことにもってあさましき次第なり。よくよくおもいはからうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

   文明八年七月十八日

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