第一帖 第8通 吉崎建立の御文

文明第三、初夏上旬のころより、江州志賀郡大津三井寺南別所辺より、なにとなく、不図しのびいでて、越前・加賀、諸所を経回せしめおわりぬ。よって、当国細呂宜郷内吉崎というこの在所、すぐれておもしろきあいだ、年来虎狼のすみなれしこの山中をひきたいらげて、七月二十七日より、かたのごとく一宇を建立して、昨日今日とすぎゆくほどに、はや三年の春秋はおくりけり。さるほどに、道俗男女群集せしむといえども、さらになにへんともなき体なるあいだ、当年より諸人の出入をとどむるこころは、この在所に居住せしむる根元はなにごとぞなれば、そもそも人界の生をうけて、あいがたき仏法にすでにあえる身が、いたずらにむなしく捺落にしずまんは、まことにもってあさましきことにはあらずや。しかるあいだ、念仏の信心を決定して極楽の往生をとげんとおもわざらんひとびとは、なにしにこの在所へ来集せんこと、かなうべからざるよしの成敗をくわえおわりぬ。これひとえに、名聞利養を本とせず、ただ後生菩提をこととするがゆえなり。

しかれば、見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。

   文明五年九月 日


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