第一帖 第7通 弥生中半の御文
去んぬる文明第四の暦、弥生中半のころかとおぼえはんべりしに、さもありぬらんとみえつる女姓一二人、おとこなんどあい具したるひとびと、この山のことを沙汰しもうしけるは、そもそもこのごろ吉崎の山上に、一宇の坊舎をたてられて、言語道断おもしろき在所かなともうし候う。なかにもことに加賀・越中・能登・越後・信濃・出羽・奥州七か国より、かの門下中、この当山へ、道俗男女参詣をいたし、群集せしむるよし、そのきこえかくれなし。これ末代の不思議なり。ただごとともおぼえはんべらず。さりながら、かの門徒の面々には、さても念仏法門をばなにとすすめられ候うやらん、とりわけ信心ということをむねとおしへられ候うよし、ひとびともうし候うなるは、いかようなることにて候うやらん。くわしくききまいらせて、われらもこの罪業深重のあさましき女人の身をもちてそうらえば、その信心とやらんをききわけまいらせて、往生をねがいたく候うよしを、かの山中のひとにたずねもうして候えば、しめしたまえるおもむきは、「なにのようもなく、ただわが身は十悪・五逆・五障・三従のあさましきものぞとおもいて、ふかく、阿弥陀如来は、かかる機をたすけまします御すがたなりとこころえまいらせて、二心なく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまえとおもうこころの一念おこるとき、かたじけなくも、如来は八万四千の光明をはなちて、その身を摂取したまうなり。これを弥陀如来の念仏の行者を摂取したまうといえるはこのことなり。摂取不捨というは、おさめとりてすてたまわずというこころなり。このこころを、信心をえたるひととはもうすなり。さてこのうえには、ねてもさめてもたってもいても、南無阿弥陀仏ともうす念仏は、弥陀に、はやたすけられまいらせつるかたじけなさの、弥陀の御恩を、南無阿弥陀仏ととなえて報じもうす念仏なりとこころうべきなり」とねんごろにかたりたまいしかば、この女人たち、そのほかのひと、もうされけるは「まことにわれらが根機にかないたる弥陀如来の本願にてましまし候うをも、いままで信じまいらせそうらわぬことのあさましさ、もうすばかりもそうらわず。いまよりのちは、一向に弥陀をたのみまいらせて、ふたごころなく一念に、わが往生は如来のかたより御たすけありけりと信じたてまつりて、そののちの念仏は仏恩報謝の称名なりとこころえ候うべきなり。かかる不思議の宿縁にあいまいらせて、殊勝の法をききまいらせ候うことの、ありがたさ、とうとさ、なかなかもうすばかりもなくおぼえはんべるなり。いまははや、いとまもうすなり」とて、なみだをうかめて、みなみなかえりにけり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年八月十二日
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